臆病者の晩餐

Kurono422006-04-19

殺戮者と悪徳を考えながら晩御飯クッククック。
今夜はシンガポールチキンライスに挑戦。





初めてアイツに出会ったのは酷く暑い夏の終わりの事だった。
あの頃俺達は何かある度に理由をつけてはロイヤルホストに集まっていた。
まだ世界がドリンクバーに染まる前のことだ。だからトロピカルアイスティーもあのでっかくてかっこいいコップに入っていた。ひょっとするとペッパーハンバーグステーキもまだ生きていた頃かもしれない。いや、そんなことはどうでもよかった。忘れてくれ。


夏のアジアご飯フェアと銘打って現れた一群の米料理の中にあいつは紛れ込んでいた。
通いつめてメニューの大半は制覇してしまい、最早ルーチンワークのようなオーダーを繰り返す俺達にとって期間限定のカレーフェア、イタリアフェアの類はありがたいギミックだったが、期間限定メニューは当たり外れが激しいのもまた事実だ。
タイのレッドカレーやマレーシアのナシゴレンに混じってメニューに名を連ねていた
そいつを、俺はろくに期待もせずに注文したのだった。


衝撃だった。
ロイヤルホストは時折海外の航空会社と提携して機内食で出していたと思われる料理を販売することがあったが、大半は物珍しいだけでそこまで旨い物じゃないというのが俺の認識だった。だが、あの夏俺達の前に現れたあいつ、シンガポールチキンライスはそうじゃなかった。明らかにそれまでの連中とは違う気配をまとっていた。
注文すると、最初に食い方についての注釈が付いた紙が配布される。
それによると、シンガポールでは庶民に親しまれている気軽なメニューらしい。
だが信じられるか?説明書つきの定食なんて!扱いを間違えると爆発でもするのか。
今でこそ爆発するラーメン、カレーライスの類はその存在を知られているが当時は一部の特殊部隊が使用するに留まっていて一般には知られていなかった。
当然俺達もなんの備えもせずに運ばれてきた奴に手を出した。結果は惨憺たる有様だった。


まず付属のワンタンスープが作動した。チキンスープの中から飛び上がった弾等部分が塩っ辛い水滴を滴らせながらベアリングを撒き散らして周囲を取り囲んでいた仲間達の肉を引き裂いた。このタイプのワンタンスープは対人殺傷効果が高い。同じような構造のSMi35は第二次大戦中にドイツ軍が採用して高い効果をあげている。
都市型ファミレスのボックス席でそいつが炸裂したんだ。結果はご想像のとおりだった。
そのあと一週間は飯がろくに喉を通らなかった。ひどいもんだ。
部隊の半数以上が死傷。普通なら後方送りだが、俺達の師団の人事担当仕官はそうは考えなかったらしい。もし彼と一緒にクリスマスディナーを食うチャンスがあったら俺は喜んで出席するつもりだ。彼が無事プレゼントの箱を開けたければ七面鳥を切り分けた後にナイフがどっちを向いているかについて気を使う必要がありそうだがな。

それはさておき俺達の部隊はろくな休暇も補充も受けられないまま、次の戦地に転戦する羽目に陥った。当時戦況は膠着する一方で前線は泥沼化していた。
うっかり頼んだハンバーグの片面が墨のように真っ黒こげだったり、シーフードカレーにレトルトパックの切れっ端が混入してたりは日常茶飯事、命の価値は暴落する一方だった。

そもそも俺は鶏肉があまり得意じゃなかった。
あの鳥皮のぶりぶりしたコラーゲンくさい歯ごたえと匂いが大嫌いだったのだ。
そんな人間が軍に入って最前線でシンガポールチキンライスを頼むなんてお笑い種だが
魔が差したとしか言いようがない。強いて言えば時代のせいだ。
最初にそれに気がついたのは偵察に出ていた斥候だった。
こいつはチェロキーインディアンの末裔を自称する小男で、5km先の人影を見て敵か味方か区別することが出来た。こいつがいたお陰で俺達の小隊は戦わなくていい相手との戦闘を幾度となく避けてきた。だが、今度の相手にはその目が災いした。
800m先のブッシュに何かが潜んでいるのを発見した斥候は俺達に警戒を促すと、相手をよく見ようとして一歩踏み出した。
ブービートラップだった。足元の鶏肉にはワイヤーが仕掛けられており、そいつを引っ張った瞬間、頭上からスパイクボールが彼を襲ったのだ。
ライスと一緒に鶏肉を口に入れると思ったほど匂いは気にならなかった。
付属のソースをつけて食べる鶏肉の味はまた格別だった。
奴は誇り高いチェロキーの末裔に相応しく、戦場で死んだ。居留地にいる奴の家族にはすずめの涙ほどの年金が出ることになる。まったく泣ける話だ。


ジョナサンのタンドリーチキン&メキシカンピラフ、デニーズのジャンバラヤロイヤルホストカシミールビーフカレー
どのファミレスにも歴戦の勇者がいる。
こいつらはいつ頼んでも大概ハズレがない。頼りになる奴らだ。
デニーズのジャンバラヤはメニューに現れたり消えたり忙しい奴だが、近接戦闘にかけては並ぶものがいない。一度奴と一緒にジャングルの哨戒任務についてみればそれがどれほど頼もしいものか良く分かるはずだ。どのメニューも微妙な時、何を頼むか決まらない時、そして何も考えずに家畜のように炭水化物をかっ込みたい時には彼らプロフェッショナルの出番がやってくる。タンドリーチキン&メキシカンピラフは頼りになりすぎるんで新兵どもがだらけちまって困るって教練担当の下士官が嘆いてるのを聞いたことがある。
ロイヤルホストカシミールビーフカレーは一時期最前線で暴れていたが、コストパフォーマンスが悪かったのか今じゃ夏の戦場にしか現れない。俺はそれが寂しい。


こいつらと比べるとシンガポールチキンライスに戦場でお目にかかる機会は少ないだろう。
だが、出会いは死を意味する。奴の戦闘能力、殺傷能力は桁が一つ違う。
鶏肉、米、スープ、あらゆる分野の天才がその才能を惜しみなく注ぎ込んだ殺戮の為だけの兵器。それが奴だ。定価もキャンペーンメニューだから普通よりちょっと高い。
漱石や英世にはちょいと荷が重い相手といえるだろう。
そもそもロイヤルホストは他の戦地に比べて金がかかるというのが定説だった。
スカイラーク系列の安いファミレスならセットメニューにドリンクとデザートまでつけられる値段で一皿の料理を出すのだ。貧乏な若造どもの財布で太刀打ちするのはやはり骨が折れる。だが、地元行動半径内にはロイヤルホスト以外のファミレスはない。
深夜まで営業しており、たまり場にできる飲食店といえば、ここしかなかったのだ。
勢い、金銭的な負担は大きく、オーダーはみみっちくなる。
それを補うための一括会計であり、小隊名義で作られたポイントカードだった。

だが、そのカードの存在が会計の負担を減じ、俺達の心理的な負担をも軽くしてくれたが故に油断が発生した。
付属の小皿に入ったソースに丁寧に浸した鶏肉を、薫り高いインディカ米と共に口に運んだ時、それは起こった。
何かがはぜる様なパチパチという音と共に周囲の元素精霊が身を捩って苦悶する姿が実体化して見えた。空気中にきな臭い匂いが立ち込め、組み上げられた術式の文字列が発光しながら渦を巻き、直後に衝撃がきた。火精の顕現を伴う16音節の複音詠唱、爆炎の招来。
アストラル空間からの呪的爆撃だった。
ウォーメイジが対抗術式を練り上げるべく詠唱加速に入ったが、間に合わない。
呪的回路を開いたことで指向性を与えられた魔力が殺到し、不幸な魔術師は全身から発火すると悲鳴を上げて消し炭になった。
気がつくと皿の半分以上を食べつくしていたのだ。夢中になって食っていたらしい。
タイ米はまずい、それが定説だった。
ご多分に漏れず俺も米騒動の時にはブレンド米のまずさにげんなりとした口だ。
インディカ米で食った鮪の刺身の味は今も時折舌の上によみがえり、俺は夜中に絶叫して飛び起きる事になる。
だが、奴はそれをあっさりとひっくり返した。
呪的闘争の常識を根底から覆したのだ。ファミレスでの食事中に攻撃呪文を撃ち込む離れ業によってだ。
たまらなく美味かった。やわらかい飯があまり好きでない俺にとって福音のようなぱらぱらとした舌触り、今となってはたまらないあの香り。
まさしく新時代の魔術師に相応しい、いや魔王とでも呼ぶべき恐るべき才能だった。
その後300年間に渡って躍進する魔道革新。その最初の狼煙を上げたのは間違いなく奴だ。
歴史の闇に潜んで跳梁跋扈する姿のない魔物。捕らえようとしても捉えきれない悪意に満ちた幻影。まさかそんな代物がトロピカルアイスティーとセットで美味しく頂けるなんて誰が想像しただろうか?


残った米にスプーンで一匙、スープをふりかけ、鶏肉、ソース、付け合せの胡瓜とごたまぜにして掻き混ぜたやつを一気に片付ける。壮絶な経験だった。
仲間のほとんどはあの戦場で死に、生き延びた奴らも今はほとんどが墓石の下だ。
思わずお代わりを頼もうかと思ったが、自分の財布の中身と腹具合を思い出して心を静め、自らに言い聞かせた。これからロイヤルホストに来るたびに何度でも頼めばいいじゃないか。機会は唸るほどある。
その夏の終わりまでに幾度となく激しい戦いが起こったが、俺はシンガポールチキンライス以外を注文しなかった。カシミールビーフカレーがやって来ていたにも拘らず、だ。
俺が奴を追うことを諦め、ビーフカレーと旧交を温める気分になった頃には夏も終わり
俺の体の大半は機械に置き換わっていた。
精神の再構築処置も2回ほど受けた。
サイバネティックとクローンだけでは癒しきれない傷を幾つも受ける羽目になったのだ。
一度などはウィッシュの呪文のお世話になった。
CONは14まで下がり、+3あった能力値修正は2に落ちた。
HPもそれに伴って低下、前衛クラスとしては情けない限りだ。
期間限定だったシンガポールチキンライスはメニュー上から姿を消し、またしても代わり映えのしないイタリア料理フェアの季節が到来しようとしていた。


軍を除隊した俺は恒星間交易船のセキュリティ要員になって宇宙を回った。
色々な星で色々な戦いに巻き込まれたが、その中にシンガポールチキンライスはいなかった。
一度だけ、それらしい奴の影を見かけたことがある。だがその頃にはタイ風チキンライスや
正等派のケチャップを使ったチキンライスとの遭遇も数を増しており、損耗を避けたかった俺は追撃を諦め、ランチメニューに逃げたのだ。
既に自分が若くない事、止まらない咳に時折混じる血は喉を切ったせいではなく、長年降下艇に乗り込んでいた海兵隊員にはお馴染みの宇宙放射線病が原因だという事に気がついていたせいもある。
店内からあの美しいトロピカルアイスティーのグラスは消えうせ、代わりにドリンクバーが店の一角を我が物顔に占拠した。
確かにドリンクバーは素晴らしい。高いコストパフォーマンス、選択の自由の存在に浮き立つ心。他じゃ滅多にお目にかかれないアンバサやファンタメロン。
だが、引き換えに俺達は何か大切なものを失った。
閉店間際のアイスボックスの氷は少ない上に溶けかかっているし
ガムシロップはいつの間にか安いブランドの物に変更されて、台の上はべたつく染みでいっぱいだ。


いったい奴は、シンガポールチキンライスはどこに消えたんだ。
去年の夏はハワイアンフェアだったし、一昨年の夏はカレーフェアだった。
俺は店員のアロハシャツを見ながらこっそりと涙をぬぐったものだ。
あの戦争が、あの発明が俺達の住む世界をすっかり変えてしまった。
あれから数世紀が過ぎたが、俺の心は今もあの夏に置き去りにされたままだ。
俺のデスクの上に置かれた古い写真。
セピア色の風景の中ではにかんだ様に笑う俺と仲間達。
ドリンクバーでもトロピカルアイスティーは飲めるので、見ようによっては飲み放題になってラッキーじゃね?とは思う。
だが、やはり彼等はもういないのだ。俺達が殉じた理想は既に過去のものだ。
今はもう思い出の中にしかいない古馴染み。
俺は写真立てを置くとため息をつき、晩飯の支度をしに机を離れた。






お米は上手に炊けましたが、鶏肉がちょっと硬くなってしまいましった。
冷凍の胸肉をちゃんと解凍しないでぶっこんだせいかなあ…。
次は炊飯器で鶏肉を調理する方法で試してみたいと思います。

「しかし、そんな方法で本当にうまくいくのかね?患者の命がかかっているんだよ!?」

アメリカで2例、成功例があります!成功します!させて見せます!」

「晩御飯はモルモットじゃないんだ!失敗したらどうするつもりだッ!」

「どうもこうも泣きながら全部食うに決まってんだろがああアーッ」

あ、今日の晩御飯は美味しかったので泣いてないですよ?
鶏肉がちょっと硬かったですけど。
次は別の方法で試してみたいと思います。
あれは感謝祭の週末のことだ…(間延びする音声)