その9


死地であった。



イードは倒れ、ギリオンも最早戦う事は出来ぬ。
剣を振りかざして立ち塞がるアウカンとマハーバラの二人を、8体のエメラルドで出来たガーゴイルが取り囲んでいた。
感情と言うものをまるで持たないその顔は美しい人間そっくりに彫られており、それだけに一層おぞましい印象を見るものに与える。



宝石で出来たその目だけが、鬼火の様に緑色の輝きを放って二人を見据えていた。



「サイードの命の代償は払ってもらう。」


俯いたまま、アウカンが呟いた。
呟いてゆっくりとその顔を上げた。
心穏やかな巨漢の面影は、最早どこにもなかった。
双眸は憤怒に燃え、口は吽行に引き絞られていた。
アウカンの笑顔を知る者が見れば、目を背けたくなる様な怒りの形相であった。


鬼の顔だった。



不意打ちラウンドが終了し、通常の戦闘ターンが開始される。


と、同時であった。


アウカンの剣が音を立てて振り下ろされた。

当たったら3d6ダメージは確実の刃がSTR20の恐るべき膂力に両手で握り締められ

骨も砕けよとばかりにグリーンエメラルドガーゴイルの頭部に炸裂する。

刃は凄まじい音を立てながらガーゴイルの頭部半ばまで食い込み、そこで止まった。

ガーゴイルの肩口に足をかけ、蹴り飛ばすようにして刃を抜き取ると、アウカンは武器を構えなおし、残りの敵に向かって振り向いた。



その背後で頭を割られたガーゴイルがゆっくりと身を起こす。

「アウカン!そいつはまだ動きます!」

マハーバラの声にアウカンは、怯みもせずに剣の柄を一層きつく握り締めた。


《肉を切らせて骨を断つ》


頑健な体躯と恐るべき膂力を持つゴライアスの、必殺の構えであった。


仲間の頭部を断ち割られても、エメラルドグリーンガーゴイル達はなんら怯むことなく、不気味な無表情をアウカンに向けたまま


じりじりと包囲を狭めてくる。


束の間の睨み合いの後、一斉にアウカンに飛び掛るガーゴイル


その爪が、牙が、容赦なくゴライアスの肉体に突き刺さった。


だがその刹那、再びアウカンの剣が瘴気に満ちた大気を引き裂きながら振り下ろされ、ガーゴイルの脳天を叩き割る。

ACの低下と引き換えに問答無用の機会攻撃を発動させるこの技は、使い手の命を敵の手の中に預け、次の刹那にそれを奪い返す事によ
って成立する必死の剣であった。


頭部を砕かれたままさらに爪を振り立てて自らの身体を切り刻む怪物に向けて今一度、アウカンの剣が振り下ろされる。

妙に澄んだ破砕音が響き渡り、エメラルドの上体を木っ端微塵にされたガーゴイルは輝く石の欠片になって周囲にブッ散らばった。


「言った筈だ。」


その上体を朱に染めたままアウカンが唸る。


「ここは通さんと。」

その姿は憤怒の劫火に身を焼く不動明王さながらだった。



「無茶ですアウカン!ここは撤退を考えた方が!」


「無理だ。俺が時間を稼ぐ、お前だけでも逃げろ。」


叫ぶマハーバラに背を向けたまま静かにアウカンは言った。

「これしきの相手に屠られる俺ではない。」


そう言ったアウカンの背に緑色の鉤爪が湿った音と共に突き出ると、ぞっとするほど大量の血がしぶいた。



正面を睨み据えたままの、アウカンの口元から血が溢れる。


鮮血に染まったその口元が、ゆっくりと、ゆっくりと笑いの形を取った。


「これが俺の使命だったのだ。ここでお前達が生き延びるための時間を稼ぐことこそが。」


巨大な男であった。


全身を切り刻まれ、胸板を貫かれ、自らの血の海に浸って死に瀕しても、アウカンは些かの弱弱しさも見せることはなかった。


アウカンが笑った。


胸のすくような、良い笑顔であった。


死に場所を見つけた誇り高い戦士が浮かべる笑顔だった。


その笑顔を保ったまま、三度アウカンの剣が振り上げられた。


「もうやめてください!私にこれ以上仲間の死を見せないでください!」


マハーバラが悲痛な声を上げる。


彼がここまでやってきたのは、それをさせない為であったのだ。

だが、サイードはその眼前で命を落とし、今またアウカンも死のうとしている。

他者の痛みを自らの痛み以上の物として感じるこの青年にとって、それは耐え難い事実であった。

自らの魂が音を立てて軋み、悲鳴を上げるのをマハーバラは聞いた気がした。

血を吐くような叫びであった。





そうはさせない。


そう、どんな事をしてでも


ここで彼を死なせるわけにはいかない。


■マハーバラ



「例え病人が助かっても、貴方が倒れてしまっては何にもならないでしょう!」

そう言ったのは彼を弟の様に可愛がってくれたペイロア神殿の巫女だった。

救護院にいた頃の事だ。

熱病で運び込まれてきた少年の、炎の様に熱い身体を少しでも楽にしてやろうとマハーバラは

寝食を忘れて三日三晩付きっきりで看病した。

その甲斐あって容態は安定したのだが、今度は自分がひっくり返ったのだ。

鼻先まで引き上げたシーツに隠れる様にして謝りつつも、満足げな笑顔を浮かべるマハーバラに

彼女はただ呆れて溜息をつくしかなかった。

一事が万事そんな調子であった。

苦しんでいるものを見るとそれが何であろうと助けの手を差し伸べずにはいられず、そうなるともう

自分の身体の事など、綺麗さっぱり忘れてしまう。


「この子は何時か他人の為に、自分の命まで差し出してしまうのではないか」


あまりにも透き通ったマハーバラの笑顔を見て、ペイロアの娘はおそれの様なものを感じた。

純粋すぎる魂が世俗に汚れる前に、ペイロアはこの子を御許に呼び戻そうとするかもしれない。



マハーバラがラッパンアスク探索の一員に加わると言いだした時、彼女は自らの予感が現実になりつつある事を知った。

幾ら説得を重ねても彼の決意を変える事は出来ず、ついに迎えた出立の朝の事であった。

生きて帰れるかすら危うい任務に就くというのに、マハーバラはいつもと同じように、静かに微笑んでいた。

その笑顔を見た時 かける言葉を捜しあぐねて立ち竦んでいた胸から、抑え様のない熱いものが溢れ出すのを感じ

彼女はマハーバラの頭をかき抱いて言ったのだ。

「必ず戻ってきなさい。生きて、もう一度私に顔を見せて頂戴。任務なんかどうでもいい。生きて帰りなさい。」

頬に触れる熱い涙を感じつつ、マハーバラは静かに頷いた。

姉と慕うこの人の悲しみを癒すには、それしかないと知っていたから。



「約束は守れません ごめんなさい。」


胸の隅に小さな痛みを感じながらマハーバラは呟いた。


僕には友を見捨てることは出来ません。死に行く人を救うことが出来ないのは僕にとって何よりも辛いことだから。

まだ何か出来る事がある内は、それをせずにはいられないのです。

だから多分ここで僕の命は終わると思います。

でも泣かないでください、姉さん。僕の命で人々の上に圧し掛かる闇を照らす小さな希望の火を灯す事が出来るのなら。

それは小さな喜びです。

どうか涙を止めてください。僕は貴女よりも少しだけ早く、輝ける神の御許に召されるだけのことです。

だから姉さん、貴女は貴女の弟がペイロアの教えに最後まで忠実であった事を誇りにし、それを嘆かないでください。

貴女が涙を流すのも、僕にとってはやはり耐え難いことなのです。


右手が意識しないまま動くと、首から下げた聖印を掴む。

日々の勤行に、幾千回と唱え慣れた聖句がその唇から流れ出た。


心の一番深い場所から眩いばかりの光が溢れるのをマハーバラは感じた。





怪物の爪を剣で受け止め、禍々しい緑色の爪が眼前に迫るのを押し戻そうとしていたアウカンはその背に暖かな光が当たるのを感じた。


最早上がらぬ。そう思っていた腕に、再び力が宿った。ひどく懐かしく、暖かいものが身体の中に流れ込んでくる。


愕然として振り向いたアウカンの目に、全身から光を放ちながら聖句を紡ぐマハーバラの姿が目に入った。



―われらの魂に新たな力を与え、喜びをもたらしたまえ、―

―われらの心を清めたまえ、―

祝福された光が周囲を照らし出し、怪物達は耳障りな声を上げると不愉快そうにしてその光を避けた。

「何をしている!逃げろと言った筈だぞ!」

瞼を閉じ、穏やかな微笑みすら浮かべて祝福の祈りをあげるマハーバラにアウカンは叫んだ。

その身から流れ続けていた血は止まり、傷口は次々と塞がっていった。



―われらの力を照らし導きたまえ、―

―われらの望みはペイロアの御手にあり。―



光の源に気づいた怪物達がゆっくりとマハーバラに向き直ると、爪を広げて彼ににじり寄る。

アウカンはガーゴイルがマハーバラに向かうのを防ごうとしたが、彼の行動順は既に終わっており、敵は5フィートステップで移動

していた。



―願いまつる、ペイロアよ、―

―慈悲もてわれらに祝福を与えたまえ―



緑色の鉤爪が振り上げられた。

仲間の命を奪い、死を振りまいたその爪だが眩いばかりの陽光に照らされ、いやにみすぼらしく見える。


「よせ。」アウカンはその身を戦慄かせながら呆然と言った。
「やめろ。」まだその足は動かない。


爪が振り下ろされた。


赤い。

何よりも赤い血が流れた。

創造されたばかりの世界に、最初に昇る朝日の色だった。

次々に爪は振るわれ、牙が突き立てられた。

だが、マハーバラは微笑を顔に浮かべたまま成句を唱え続けた。

何よりも他者の痛みを嫌った青年の、たった一人の連祷は途絶えることがなかった。


―伏して心より願いまつる、―

―ここに悩み苦しむものを救いたまえ。―*1


最後の聖句が唱え上げられると同時にマハーバラの身体から放たれていた光が急速に膨れ上がると、周囲を飲み込んだ。
これまでで最も強烈な光であった。
地上にもう一つの太陽が現れたようだった。





聖都ミトリックの片隅、太陽神の救護院で落日に弟の無事を祈っていたペイロアの巫女アンスルサーは


神殿の円柱の間に、太陽を背にして立つ影を見た。


凍り付いたようになって影を見つめる彼女に、影は優しく微笑みかけると落日に向かって歩み去っていった。


太陽は西の地平に沈み、夜の闇が忍び寄るペイロアの聖堂で彼女は全てを悟り 悲痛な嘆きにくれた。*2



光が収まった後にマハーバラは倒れていた。

いかなる奇跡か、その顔には傷一つない。

穏やかな微笑を浮かべたまま息絶えたその小さな亡骸に

彼の命を奪った怪物達ですら、恐れを覚えた様に後ずさった。



太陽の神官、ペイロアのいとし子、無私の癒し手マハーバラは、こうして父なる神の御許へと召された。

*1:ペイロアの祝福 PHB2 P.38

*2:要約:マハーバラは精神集中判定に成功し、AoOを回避しつつアウカンをキュアしたが、HealTauntでガーゴイルの袋叩きにあって死んだ。