ジョーゼフ・キャンベル著 倉田真木 斎藤静代 関根光宏訳 『千の顔をもつ英雄』

千の顔をもつ英雄〔新訳版〕上 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

千の顔をもつ英雄〔新訳版〕上 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

千の顔をもつ英雄〔新訳版〕下 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

千の顔をもつ英雄〔新訳版〕下 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)


読んだ。


英雄は共同体から出て、冒険して、お宝ゲットして帰るのだ。そして共同体を変えるのだ。


大体の神話のベースはそれなのだ。そしてそれにはいくつかのパターンがあるのだ。


心理学的に見ると人類共通な意味合いが存在するのだ。


例えばどこそこのなになにという神話にはこういう話があって、これはこのパターンなのだ。


みたいな話がずーっと続いて古い本であることを差っ引いても無茶苦茶面白いのだ。


枕元、トイレ、風呂場などにセットして自家薬籠中のものとなるまでたらたら読み込むと様々な応用が効きそうであった。

「英雄の旅」「宇宙創成の円環」「父親の探索」「人喰い鬼の専制君主」などタグ付けしてセリフに混ぜるだけで

物語を俯瞰している超人ポジションに立てる強力な言葉が満載されているのだ。


表紙もかっちょいい。

翻訳文も読みやすくて素晴らしいのだ。


ただひとつ、上下巻参考文献除く587ページ中を通して4回も「気づき」という言葉が出てきたこと以外は最高だった。







(以下の文章は本書と全然関係ないので畳みました)

気づき!おお、なんと呪わしい言葉。

なんだそれは!アウェアネス!知るか!自覚とか認識とかそういう言葉じゃ駄目なのか!

わたしは気づきという言葉を見ると血が逆流し、自らの正義で目が曇って何も見えなくなる!

その呪わしい言葉は人をまやかしにかけようとするペテン師の呪文にしか思えぬのだ!手妻!手妻だな!!なんと厭わしい!

我が即位の暁にはこの宮殿に、いやこの都に、この国のどの場所にも気づきという言葉は許さぬ。

天の上であろうと地の底であろうと認めるつもりはない。荒れ野へ行くがいい!!もしくは文化財的な価値の無い尼寺へ行け!!尼寺へ!即座に助成金を打ち切って後継者不足に苦しめてくれよう!


学び! 次に呪わしいものである。


学びを得る! 何だその言葉は! 学ぶ でいいではないか!!

何故一般的な行為をわざわざ””でくくるような言葉を作って貶める!

ラーメン屋が材料自慢をしようとして「最後の一滴まで美味しく頂けます」って客の上にラーメンを位置づけるが如く!

怪しげなネット業者が「お客様第一主義となっております!」の「なっております!」で丁重なふりをしてコミュニケーションを拒絶するかのごとく!

誤魔化しと欺瞞とおためごかしをこね回した悪臭紛々たるメッキの安ピカものよ!

お前は「ワンコイン」と同じ程に厭らしい言葉よな。


ワンコイン!! なんとみっともないことば!

なぜ ごひゃくえん では駄目なのだ!

なにが「ワンコインランチ」だ!

お前の言っているそれは要は「昼飯500円」ではないか!

横文字で誤魔化したとて、日常は日常よ!

日常を日常のままに受け入れられぬさもしさが鼻につくのだ!

大体1円だって、10円だって硬貨1枚ではないか!

いやさ、円であるかすら定義できないではないか!

英語じゃろ?それ英語じゃろ!?

だったら1ドル! 1ポンド! いや、1ペニーかもしれないじゃないのよおおー!!

ダサい!凄くダサいわ! かっこつけてるつもりかもしれないけどあたしそういうのキライッ!

それからね!それから……!!!



感情の高ぶりとともに耳をつんざく高音へとシフトしていった声はついに超音波の粋に達し、人々の耳には聞こえなくなった。


犬と猫は迷惑そうな顔で眉をしかめ、翌朝この一帯に朝告げ鳥は鳴かなかった。