- 作者: ダニエル・フリードマン,野口百合子
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 2014/08/21
- メディア: 文庫
- この商品を含むブログ (36件) を見る
バルーク・シャッツ。87歳。通称バック・シャッツ。”鹿弾”(バックショット)。
ノルマンディー上陸作戦に従軍し、そこから生還した男。1957年から62年まで、メンフィスの悪党の死因第一位と恐れられた元刑事。
妻と二人暮らし。歯はしっかりしているが、年々歩行は困難になり、脳血栓を避けるための抗血液凝固剤のせいでちょっとぶつけただけで痣ができる。
車で外出した際、自分がどこにいるか判らなくなって妻に電話をした事がある。その際は公衆電話を使った。
自分が携帯電話を所持していることは妻に指摘されるまで忘れていた。
自らがアルツハイマー症候群ではないか疑い、密かに恐れている。
芝生の手入れは人を雇って任せるようになった。
アメリカの大人の男はどうも自宅の芝生を手入れする、という行為に対して崇高な思い入れがあるらしい。
映画『グラン・トリノ』の解説で
アメリカの男は自宅の事を自分で出来てこそ一人前だという認識がある、という話を読んだことがある。
バックも働き者の難民が自宅の芝生を丁寧に刈り込んでいる事実に苛立っている。
文句のつけようのない仕事であることが、一層彼を傷つけているように見える。
主人公の設定を聞いた瞬間に、みんなクリント・イーストウッドを思い浮かべると思う。
実際、グラン・トリノの主人公コワルスキーとバック・シャッツのイメージは結構かぶる。でもバックの妻は生きているし、彼はコワルスキーより10歳は年上だ。
作中でも3度、クリント・イーストウッドへの言及がある。
バック自身もそれについてコメントする。このシーンは物語冒頭のちょっとした見せ場だと思う。
かつての戦友の死に際の告白。
ノルマンディーで捕虜になったバック。隠し様のないユダヤ人の名前を持ち、タフな兵士だったバックを虐待した元SS将校が生きている。
大量の黄金を持ってベルリンを脱出していた。
このことから彼はかつての仇敵とナチの黄金を巡る醜い争いの渦中に巻き込まれることになる。
現在のバックは別段ヒーローではない。
最大の脅威は悪漢でも銃弾でもなく、シャワールームでの転倒やアルツハイマー症候群、手の洗い忘れから来る風邪。
つまり全ての人類が晩年に直面する逃れようのない老いだ。
この辺はホントにハードで救いようがない。
悪漢をやっつけても、大金持ちになっても、いずれ介護を必要とする身になるのは避けられないし
突然、力が湧いてきて伝説の復活とばかりに悪党を薙ぎ払ったりも出来ない。
バックは伝説的な元刑事だが、刑事だったのは35年前で、今の彼は年の割にはまあ、元気な87歳の老人だ。
ならば智慧深く、高潔で、恐れをしらないかといえば、別にそういうわけでもない。
バックの捜査手法はとっくに時代遅れであり、彼はGPSやGoogleが何かわからない。
小悪党相手に凄んでみても相手は狼狽えないし、パンチをお見舞いしても殴った方の手が折れることになる。
常に要介護老人になる事を恐れているし、妻の健康度合いにも心配がある。
今の家を手放して施設に入るのが嫌なので金もほしい。
ヒーローっぽくはない。
だが、超人度合いは静かに高い。
元刑事の直感とアルツハイマーの初期症状である妄想の区別がつかず
孫に運転してもらわなければ聞き込みにも出られない
捜査の手順が通用しない状況でも
折れない。
これはカッコイイ。
諦めつつも最後の最後まで勝負を降りない徹底した粘り強さがある。
個人的にはもっと超人でも良かった。
ただこのカッコよさはもっと歳をとってから読んだらもっとカッコ良く感じそうな気もするのだな。
シブい。マジハード。
話は地味。
続編がある。出たら多分読む。
翻訳者のこだわり「バックは年寄りなので看護師と言わずに看護婦という」はカッコ良かった。